Jonnyと海へ。 Jonnyのトラックの助手席が狭く感じるほど、Jonnyはでかい! その大きさにそぐわない(?)美声と手先の器用さも持っている。 そしてなにより、暖かく優しい。 僕にとってハワイアンの血をひく彼はやはり特別な存在だ。 ハワイの歴史の影の部分も彼の祖先は乗り越えてきたのかと思うと心にこみ上げるものを禁じえない。 彼のお母さんは山口県にルーツも持つ日系人だから、日系人の苦労も乗り越えてきているのだ。 にもかかわらず、彼も、ハワイアンである彼のお父さん、日系人である彼のお母さんも心底暖かい。 なぜ、こんなに素晴らしい人達の先祖に苦しみが与えられたのだろう?
1779年1月欧米人として初めてクックはハワイに訪れた。 クックはハワイ島に上陸したが、その前年の暮れにハワイを「発見」し、「サンドウィッチ諸島」と名づけた。
サンドウィッチとは、あのパンに具をはさんで食べるサンドウィッチを考案したイギリスの海軍大臣であり、クックを後押ししていた人物だ。
クックがハワイ島に上陸した時、島では新年の祭りである「Makahiki」の最中だった。 この祭りは、10月中旬頃からおよそ4ヶ月続く。 スポーツや宗教的儀式、物忌みなどが行われる。
この物忌みとは、特定の人やものを神聖または不浄として触れたりなどする事を禁じるポリネシアの風習で、「タブー」の語源となったものだ。
ちなみに「新年あけましておめでとう(Happy New Year)」をハワイ語では、"Hau'oli Makahiki Hou"と言うので、年初にハワイに行かれる方は使ってみたらいかがだろう? 恐らく街中でこのサインを見かける事ができると思う。
そのタイミングで島に近づいたクックは、ハワイアンから収穫の神であるロノの化身がやって来たと考えられ大歓迎を受ける。
しかし、しばらくすると首長や神官などは自分たちの立場が危うくなることを恐れ、次第にクックを煙たがりだす。
そのためクックはサンドウィッチ諸島をあとにするが、神の怒りに触れたのか4日後に台風に遭遇し、仕方なくサンドウィッチ諸島に引き返した。 しかし、すでに「Makahiki」が終わっていたハワイアンからは歓迎されなかった。
その数日後船に備え付けてある小船が盗まれたのを機にハワイアンとの間に対立が生じる。 クックはそれを取り戻すため、首長の一人を人質にとったが、それが逆にハワイアンの怒りに火をつける結果となり、ハワイアンに刺し殺されてしまう。 初上陸からわずか1ヶ月後のことである。
A hui hou.
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