ハワイカイのJonnyの両親の家。 Jonnyが結婚する前はここにもよく泊めてもらった。 左が僕、右がハワイアンであるJonnyのお父さん。 一緒にテレビを見ている。 初めてJonnyのお父さんに会ったとき、ハワイの歴史が書かれた本を僕に示しながら、ハワイの歴史を話して聞かせてくれた。 お父さんは米軍の兵士として厚木や座間に行った事があるとも言っていた。 お父さんからはハワイアンであることの誇りが静かにしかし強く伝わってきた。 いつも本当に優しい素晴らしい人。 このお父さんの子供なのだからJonnyが深いアロハの持ち主であることは当然なのかもしれない。
キャプテン・クックが西欧人として初めてハワイに上陸してから、白人が怒涛のようにハワイに押し寄せる。
彼らは、ハワイアンと友達になるために来たわけではなかった。
彼らは、そのほとんどは金儲けが目的でやってきた者達だった。 西欧文明にうといハワイアンをうまく丸め込み搾取の限りを尽くした。 宣教師はキリスト教布教のため、かれらの信仰を禁止した。
ハワイには無かった伝染病も持ち込まれ、多くのハワイアンの命を奪った。
白人達は、土地の私有の観念の薄かったハワイアンからタダ同然で多くの土地を手に入れ、サトウキビプランテーションを作っていった。
そこでのほとんど農奴として単純労働を担わせる者として当初ハワイアンを使うことをもくろんでいたが、彼らが全く興味を示さなかったため、日系人をはじめとするアジア系の移民を大量に受け入れた。
その結果、2004年のハワイの全人口およそ126万人のうち、日系人を含むアジア系の人口が最も多く41.6%、ついで白人の24.3%、ハワイアンや他のポリネシア系の人々はわずか9.4%にまで減ってしまっている。
しかも、ハワイアンの多くは混血で、純粋なハワイアンは全人口の1%にも満たない。
クックが上陸した時に30万人と推定されたハワイアンの人口は、1872年には5万7千人にまで激減したと言われている。 白人の上陸がハワイアンの社会に壊滅的な打撃を与えたのだ。
続く
A hui hou.
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