カウアイでは、車を走らせるとこのようにヤシの木がうっそうとしている森に良く出くわす。 本当に緑が豊かなことを実感する。 大自然がそのままの迫力と優しさで迫ってくる。 ここにはワイキキのような華やかさもにぎわいも無いが、限りない優しさと平和がある。
海からあがり、Roydenと貝を食べたあと、急いで真っ暗な中、車のライトだけで着替えを済ませると、おじいちゃん、おばあちゃんの家へと向かった。 腹ペコだったが、道は暗く狭かった。 あまりの暗闇に恐怖さえ覚えた。
しばらく走り続けると、やっと民家が集まっている場所にたどりついた。 しかし、そこにも街灯は全く無く、真っ暗。 こんな闇ばかりのところに居ることなんで日本ではまず経験したことがなかった。
僕の住んでいる神奈川はもとより、波乗りに行く、千葉や茨城、伊豆でもこんな暗闇の連続は経験したことがなかった。
その暗闇でさすがのRoydenもおじいちゃん、あばあちゃんの家がどこか少し自信を失っていたが、何とかたどり着くことができた。 Roydenは日系人だから当然おじいちゃん、おばあちゃんも日系人だ。
家に着き、扉をノックすると「はーい。 誰?」というおばあちゃんらしき人の声。 「Royだよ。 あけてくれる?」というと、中から扉が開かれ、光が洪水のようにあふれてきた。
なにか特別な照明器具を使っていたわけではない。 いわゆる裸電球だったが、暗闇を走ってきた僕らの目にはまぶしすぎるほどの光だった。 その光の中におばあちゃんが立っていた。
「入りなさい。 入りなさい。」と僕にも日本語で話しかけてきてくれた。 ハワイの田舎で日本語を聞いた時の感覚は不思議なものがあった。
中にはいりかかったとこで、奥からおじいちゃんが出てきた。 見るからに日本人だったが、たくましく日焼けしていた。「ハロー、よう来たね。」と英語と日本を混ぜて満面の笑みで僕を迎えてくれた。 この英語と日本語が混ざっているところも不思議な感じだった。
シャワーも浴びずにいきなり夕食となった。 おじいちゃんもおばあちゃんも日本語で僕に質問を浴びせかけてくる。 日本からの友人はめったに来ないようだった。 自分の母国からの訪問者、しかも孫の友人と言うことで本当に歓迎してくれた。
食卓には梅干や煮物がならび日本の食卓そのものだった。 カウアイでこんな食事を囲むとは全く予想していなかった。 「食べなさい、食べなさい。」と即され僕は食事をはじめた。
おばあちゃんはあれも食べる?これも食べる?と言って次々色々なものを出してきてくれる。 波乗りで腹ペコだったので、調子に乗って色々食べて満腹になってきた。 それでも出してくれたものを断れず相当な量を食べた。
僕にも田舎に祖父母がいたが、やはり暖かかった。 ハワイのおじいちゃん、おばあちゃんも同じだった。 ただ孫のRoydenにおばあちゃんは厳しかった。 ああしなさい、これはダメと厳しく言っている。 お父さんの強面な理由が分かった気がした。
日本からやってきてハワイで大変な苦労をして生活をしてきた日系人の強さを垣間見た気がした。 日系人のほとんどは大農場の労働者として大変な苦労をして今の生活の基礎を築いているのだ。
その間に第二次世界大戦もあり、自分の国アメリカと母国が戦い、強制収容されるなどの苦労さえあったのだ。 今の平和に満ちたハワイから想像できるだろうか?
そういった事も理解して、Respectをもってハワイには接したい。
続く
A hui hou.
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