五年くらい前にグレッグが住んでいた家。 ハワイ大学に比較的近く便利な場所だった。 この写真では分からないが、家の前には美しい白い花を咲かせる木があった。 グレッグは僕がクラッシュしてしまったボードを修理してくれている。 板の修理と言うのは素人でもできないことは無いが、根気がいる。 僕が板をクラッシュすると必ず、ハワイのブラたちは「俺が直してやるよ。」と言ってくれる。 僕はいつもその言葉に甘えていたが、結構面倒な事を頼んでいたのだ。 彼らの優しさが当たり前になってはいけない。 優しさにはこちらもそれ以上の優しさで答えなければ・・・
ハワイの歴史について書き始めたはずだったがもう少しグレッグの話を聞いていただけるだろうか?
昨日、友人と南房総に波乗り行き、食事を済ませ午後8時過ぎに帰宅した僕は、波乗り後の心地良い疲れに身をゆだね、ソファーでクルーズしていた。
そこに僕の携帯にまたまた公衆電話から連絡が入った。 グレッグに違いなかった。
「もしもし」と僕は日本語で出た。 彼はよく日本語で出るからだ。 「ハロー」英語だった。 すぐ僕も英語に切り替えて話を始めた。
「元気? 寝てた?」「いいや、今日は波乗りに行ったからクルーズしてただけだよ。」「えっ波乗り!? 寒いだろ?」「もちろんウェットスーツは着るけど、今日はわりと暖かかったし、水はまだ温かいよ。」「そうか、ハワイは気温より水温が必ず低いからそんなこと想像できないけどなぁ。」
「そっちは元気?」「ああ、元気だよ。 ハワイに帰る前に連絡しようと思って。」「そうか。 明日帰るんだっけ?」「いや、今日だよ。 いまもう関西エアポートなんだ。」「そうか。 早いなぁ。 彼女は大丈夫?」「ああ。 突然お兄さんが亡くなって驚いてたけど。」
「でも一緒に京都に行ったり、良かったじゃん。」「そうだね。 神戸で泊まったホテルのサービスはすごいし、日本は本当にすごい国だよ。 本当に食べ物は美味いし。」彼は、もう6回ほど日本に来ているが、いつも日本に驚いているようだ。
彼がいつも言うのは、食事の美味しさ、女の子の可愛さとその数の多さ、サービスの良さ・・・ などなど。 確かにそうかもしれない。 いつも日本にいると当たり前になっていることに気づかされることが良くある。
ハワイは素晴らしいが日本も捨てたもんじゃないのだ。 日本には日本のすばらしさがある。 ハワイに行くことで逆にそれが理解できる。
「1ヶ月後には会えるな。」「ああ。 楽しみだよ。」「予定メールしてくれよ。」「うん。 21日にそっち着くからさ。」「OK。 待ってるよ。 ステイ先はJonnyがアレンジしてくれてる?」「ああ。 Jonnyがやってくれてるから心配いらないよ。」「結構予約で混んでると思うよ。」「うん。 そう言ってた。 でももし部屋がなくなってもJonnyの家に泊めてくれるって言ってたから。」「そうか、それはいい。 彼はでかいとこに引っ越したからな。 俺の家は狭いから泊めてやれなくてごめんな。」「分かってるよ。 問題ないよ。」
彼の家は小さなリビングとベッドルームがあるだけの小さな家だ。 とても男二人で生活できる広さじゃない。 一人暮らしに丁度の大きさだ。 だから、彼の家に泊めてもらおうなんて全然考えていないのだが、グレッグとしては泊めてやれない事にひっかかるものがあるのだ。
しばらくそんなたわいも無い話をしたあと、グレッグの彼女のマキちゃんに電話を代わった。 彼女とは日本語で会話できる。
「元気? あ、元気っておかしいか。 お兄さんのこと大変だったね。」「うん。 突然だったから驚いたよ。」「そうだよね。 でも京都とか行けてよかったじゃん。」「そう。 まさかグレッグが来るとは思わなかったからさぁ。」「そうかぁ。」「彼が来てくれたおかげで私も家族もすごく助かった。 彼がいなかったら、重いまま帰らなきゃならなかったよ。」
そう、彼は仕事を急遽休み、彼女の力になるために日本に来たのだった。 そして、あの優しさと見るだけで癒されてしまう笑顔とアロハで、沈む皆の気持ちを救った。
数年前、僕の母親が亡くなった時、僕の心の支えになってくれたのも、グレッグやジョニーだった。 彼らの声を聞くだけで癒された。 Jonnyにすぐ電話をし、彼の言葉を聞くと心の芯が暖められる気がした。
その後Jonnyは手紙とチェックを送ってきてくれた。 グレッグはJonnyから話を聞いて、ハワイから電話をしてきてくれた。 まさか国際電話までしてくれるとは思わなかったから本当に嬉しかった。 電話料金を気にすることも無くおよそ1時間も電話で慰め続けてくれた。
そんな奴ら。 アロハに満ちたブラたち。
後1ヶ月もすればまた彼らに会える。 もう待てない。
A hui hou.
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