グレッグの家の前の白い花を咲かせる木と僕のサーフボード。 確かな事は言えないが、この木はジャスミンの一種じゃないかと思う。 ハワイはハワイ固有の種と他のポリネシアの島々から持ち込まれた外来の草木が交じり合っていて、固有の種の中には絶滅の危機に瀕しているものもある。 南の島のシンボル的なココナッツパームツリー(ヤシの木)も他の島から持ち込まれたものだ。
グレッグと出会って17年が経つが、今まで色々なことがあった。 いつもハワイに行くたびにハワイカイの彼の両親の家に世話になりっぱなしだった僕は、いつか彼らにお返しをしないとならないと思っていた。
Jonnyとグレッグに日本に来ないかと誘ったが、金銭的な問題もあり、なかなか実現できずにいた。 そのうち僕がアメリカのオハイオ州である日系現地企業の経営コンサルティングの仕事をすることになった。13年くらい前のことだ。
当時勤務していたコンサルティングファームは日本の最大手の一つで、毎月行われる東京本社での会議に出席することが原則だったため、ほとんど毎月のようにオハイオと東京を往復していた。
そのうちの何回かはハワイ経由で帰国していたが、そのたびに2週間程度滞在し、波乗り三昧の生活を送った。 当時は、航空券の料金も宿泊料金もかからずにハワイに行っていたのだ。 伊豆に波乗りに行くより安上がりだった。
そこまでハワイに行くと、エアラインのマイレッジが65万マイル以上と途方も無い数字になっていった。 僕は、そのマイレッジを使って、Jonnyとグレッグに日本との往復航空券をプレゼントし、僕の家に泊まってもらい、行動は全て僕の車で行う事で金のかからない日本への旅を実現し、彼らを説得した。
ついにJonnyとグレッグが日本にやってきた。 僕の日本人の仲間達も誘い皆を紹介した。 ついに僕の大切な仲間達が一堂に会したのだ。 僕にとっても、仲間達にとっても最高の瞬間だった。
僕は毎日彼らをあちこちに連れて歩いた。 その後何度か日本を訪れるようになって、渋谷、原宿、六本木はもとより、大阪、京都にも足をのばし、伊豆や八丈島にも波乗りに出かけた。
そのどこに行っても、彼らは地元の日本人に暖かく迎えられた。 彼らの発する優しいオーラが周りの人たちにも伝染してしまっているようだった。
彼らは逆に日本人の優しさにうたれたと言っていた。 あちこちで僕の知る限りの安くて美味い店を食べ歩いた。 ラーメンやとんかつ、すき焼きは得に気に入っていた。
仲間全員で伊豆に行ったときにうなぎを食べに行ったのだが、さばくところを写真に撮ってはしゃいでいた。 その後うなぎをぺろっとたいらげると、ご飯だけさらに一人前お代わりしていた。
お店の人のご好意で、うなぎのたれをかけてもらうと大喜びでこれもあっという間にたいらげてしまった。 ハワイの照り焼きソースとは比べ物に習ならない美味さだったのは確かだが。
Jonnyはおじさんが相模原の米軍の基地にいた。 僕は彼ら二人を連れ、車で相模原までおじさん一家に会いに行った。 おばさんは僕が毎日面倒を見ているのに驚いていた。
確かに毎日の事なので疲れがでてきていたが、今まで彼らにしてもらったことを考えればまだまだ十分とはいえなかった。
今までの日本訪問の詳しい話はまたの機会に譲るが、最近はグレッグも日本人の彼女ができ、Jonnyも日本人の奥さんとほぼ2年前に結婚し、奥さんと日本に来るチャンスも増えてきた。
かれらも時々日本に来るとその素晴らしさと逆にハワイの素晴らしさも再確認しているようだ。 一つの場所にじっとせずにあちこち行くのは人生を楽しいものにしてくれる。
これからも彼らと立場は逆だが、ずっとハワイと日本、そしてたまには他の国で波乗りし続けられたら幸せだと思う。
A hui hou.
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